2013年7月3日水曜日

ダニエル・カーネマン「ファスト&スロー」(上)







出版後、半年年ほど経ってから購入した。プロスペクト理論の解説かと思って、買わなかったが、上巻を読んだところ、予想とはまったく違っていて、我々の意思決定システムについて、客観的・統計的観点からの最新の知見がまとめられていた。アマゾンでもよく売れているが、果たして本当に理解して読んでいるのだろうか。私が入手した二分冊のうち、上は6刷目だったが、下は1刷目であった。ノーベル賞受賞者の本だからと、購入したものの理解が難しく、一冊目だけで、放棄したのではないか。易しく書いてはあるし、数式も出てこない。しかし、バックグラウンドには数理心理学者としてのセンスがある。日本で、数理統計的な見方がよく理解されているとは思えない。それなりに難しい本なので、防備録として、メモをとっておく。

タイトルのファスト&スローは、システム1(速い思考)とシステム2(遅い思考)の意味である。システム1は自動的で非意識的な思考プロセスで、錯覚、印象形成等、直感的思考に深く関わっている。システム2は注意を要する意識的な思考プロセスで、システム1の思考の誤りを修正する働きがある。カーネマンは、このシステム1とシステム2という概念で、心理学の全体を統合的に説明する。

「バナナ」、「ゲロ」という単語を見ると、バナナの黄色、ゲロの汚さなどが連合し、黄色や汚い物に対する反応が活性化される。これは昔は「観念連合」、今は「プライミング効果」と言われる現象である。プライミング効果は自動的に引き起こされ、その後の意思決定や思考に影響を与えるが、その影響は意識に上らない。カーネマンはこれをシステム1の働きであると考える。

サムは親切な人だと、システム1が直感的に推論すると、自動的にサムが行った親切な行動が思い浮かぶ。不親切な行動があっても、記憶の隅に追いやってしまう。そして、サムが親切な人だと確信を持つようになる。これが確証バイアスという現象である。これに類似した現象としてハロー効果もある。カーネマンは、システム1の働きで、確証バイアスやハロー効果を一元的に説明する。

システム1は数字による暗示効果にも関わっている。たとえば、「ガンジーは亡くなったとき114歳以上だったか」と質問された時は、「ガンジーは亡くなったとき35歳以上だったか」と質問された時よりも高い年齢を答える。これをアンカリング効果という。アンカリング効果はプライミング効果とも共通点が多い。あるスーパーマーケットで、キャンベルスープを定価の10%引きで販売した時、「お一人様12個まで」と張り紙をしたときは、平均7缶売れたが、「お一人様何個でもどうぞ」の張り紙の時は半分しか売れなかったという。これもアンカリング効果が働いている。

システム1は数学や統計学がわからない。カーネマンは「平均への回帰」という単純な事柄が人々の判断に大きな影響を与えているという。

回帰を発見したのは、フランシス・ゴールトンで、これはスネディガーとコクランの古典的名著「統計的方法」(p.158)に解説がある。原語はRegression 退行という意味で、ゴールトンは「一般的退行の法則」を提案し、「一人の人間のもつ各特性は、その子孫に分与されてゆくが、<<平均的には>>その特性の著しさの程度は低くなってゆく」と考えた。そして、友人のカール・ピアソンは父親と息子の身長の1000以上のデータから、背の高い父親は背の高い息子を持つ傾向はあるが、息子たちの平均身長は父親たちよりも低くなっている。これが退行であるという。ゴールトンは優生学の提案者で、放置しておけば、どんどん人種が劣化していくと考えたのかもしれない。しかし、これは単なる統計学的な平均への回帰傾向にすぎない。後に、ゴールトンも二つの変数の相関が1以下の時は必ず平均への回帰が起こると気づいたようだ。

カーネマンは平均への回帰という単純な現象を人々が因果的に誤解しがちであると説く。たとえば、ゴルフで初日で良いスコアを出した選手は二日目にスコアが悪くなる、最初の学力検査で優秀な成績を収めた人は次の学力検査では成績が落ちる、最初のビジネスの成果が素晴らしかった場合、次のビジネスの成果は落ちる、人は、その因果関係となる原因を探しがちだが、ほとんどの場合、平均への回帰という統計的な原理で説明できる。

経済分野でも事情は変わらない。たとえば、ビジョナリー・カンパニーで調査対象となった卓越した企業とぱっとしない企業との収益性と株式リターンの格差は、調査時期後には縮小し、ほとんどゼロとなっているし、エクセレント・カンパニーとして取り上げられた企業も、短期間のうちに平均収益は減少している。ビジネス書ではリーダーの個性や経営手法の影響を誇張している。これらもすべて平均への回帰で説明できる。

株式市場でも、調査によると、平均的にはもっとも活発な投資家がもっとも損をしていて、取引回数の少ない投資家ほど儲けが大きかった。投資ファンドのプロを調査した所、かれらの運用成績は、ポーカーよりもさいころ投げに近かった。カーネマンはこれをスキルの錯覚と呼んでいる。高度な知識による推測は、当てずっぽうとほとんど変わらない。

最後に臨床心理学者のポール・ミールの話が出てくる。ミールはMMPIの開発にも携わった人で、1950年代から臨床家の推測と統計的推測のどちらが正しいかという問題提起を行い、さまざまな研究をまとめた結果、1954年に統計的推測の方が臨床家の推測よりも圧倒的に正しいという結論を出した。その後も彼の結論は支持されている。この件は村上・村上「改訂臨床心理アセスメントハンドブック」にも詳しく書いた。日本の臨床心理の専門家は、残念ながら1950年代以前の世界にいるようだ。

カーネマンも専門家が直感に頼りすぎて間違った結論を出しがちで、統計的手続きにも偏見や敵意を持っているからであろうと推測する。専門家が厳密に精緻な判断を下していても、単純な統計的推測に劣る場合が多い。人間は真実を見たがらない。このあたりは統計的センスがないと、了解しずらいだろう。

とりあえず、これで上巻のメモとする。

「ファスト&スロー」の下巻はやはりプロスペクト理論の解説が中心であるが、かなり分かりやすく書いてある。暇な時にまとめてみる。








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