2013年6月23日日曜日

坂井建雄 腎臓のはなし

実は少し腎臓が悪い。腎臓が周期的に勝手に休養するらしく、土日に身体が1キロほど浮腫む。月曜日からは正常に復帰するから問題はないのだが。そういうことで、少しだけ腎臓に興味があった。本屋でたまたま手に取って購入したのだが、これがかなりレベルの高い本で感心した。

著者の専門は解剖学で、解剖学は何を研究してもよいらしい。そこで、著者はたたま腎臓を30年以上、研究したようだ。腎臓は肝臓と同様に沈黙の臓器だが、肝臓ほど注意が向けられない。腎不全になって、その重要性に初めて気づくが、そうなると、手遅れの臓器である。

腎臓は尿の濾過器官で、二段階で濾過するという。最初の段階で糸球体で尿を濾過するが、この時は水分を多く含む大量の尿が作られる。これは一日に200リットルほどに上るという。次の段階は尿細管で行われ、尿が再吸収され、最終的に一日に1.5リットルの尿が作られる。この二段階メカニズムは、尿細管の吸収率をわずかに変化させるだけで、体内の水分量を大きく調節できるからという。

哺乳類の腎臓は厚い結合組織で覆われている。これは糸球体の血管を高圧に保つためらしい。膵臓、精巣、リンパ節も同じ事情らしい。男の睾丸が固いのも時々高圧になるからだ。考えてみれば当然だが、真面目に考えたことはなかった。反省。

腎臓、特に糸球体のメカニズムが解明されたのは、最近のことで、今まで十分に分かっていたわけではない。著者は医学史も研究している。普通の医学史では腎臓の話など出てこないが、この本は腎臓の本なので、腎臓の研究史が詳しい。

糸球体の研究史は19世紀ほどにさかのぼる。顕微鏡の発達で糸球体がフィルターの役割をしていることが分かった。しかし、その主役は、足細胞の足突起、糸球体基底膜、内皮細胞、のどれか、不明だった。ファーカーが1975年に行った徹底的な実験で、糸球体基底膜が主役であると結論づけられ、それが通説になった。ところが1998年に、足突起の間の膜のタンパク質の構造が明らかになり、この通説が否定された。だから、科学は面白い。まだまだ、腎臓には未知の部分があるかもしれない。

糸球体は一度壊れると再生しない。年齢と共に壊れていく。老人に水分調整能力が乏しいのは、腎機能が損なわれているからである。糸球体の数は余力があるから腎臓一つでも生きられるが、糸球体の数がある一定限度以下になると、症状が顕在化し、腎臓病になる。腎臓を治療する方法はない。つまり、腎疾患に繋がる高血圧、動脈硬化、糖尿病を予防するほかない。





2013年6月22日土曜日

竹内洋岳 登山の哲学






登山家に特に興味はないが、「初代竹内洋岳に聞く」を読んだ。ライターがよくまとめていたので読みやすかった。竹内氏は「新しい道具にどんどん取り替えていく」(p.75)ということを重視する人のようだ。道具に対する考え方などをみると、かなり頭の良い柔軟な人だと感じた。

それで、「登山の哲学」を読んだ。これはコンパクトに良くまとまっていた。本人が書いたのかもしれないが、かなり編集者の手が入っていると思う。「哲学」らしいことはほとんど書かれていない。タイトルも編集者が付けたようだ。

個人的に面白いと思ったのは最後の章である。非常に省エネ的歩き方をしていて、足をわずかに上げてフラットに着地し、地面をキックしていない。クランポンの跡がくっきり残るという。この点は私の頼りないふらふら歩きと同じである。私も脚を慣性の法則に従わせつつ、振り子運動で前に出し、地面を軽くプッシュして、支持脚と遊脚とを交換する。ふくらはぎの筋肉は使わない。

本の内容は、「初代竹内洋岳に聞く」とほとんど重なっている。だから、この本を初めて読んだ人は、素晴らしい本だと思い、アマゾンで5点を付けるだろう。私は2冊目なので、ほぼ同じだなあという印象である。だから点数評価すると、4点までである。

登山家なので、文筆家ではない。書く内容は、8000m峰の登頂のことに限られる。それ以外のことは期待できない。そういう限定付きで本を読んだ方がよい。